唐揚豆知識

唐揚の歴史

3000年前【紀元前~奈良時代】・人類と鶏の関係の始まり

東南アジアに生息していたキジ科の野鴨が人に飼育されるようになり、 中でも「赤色野鴨」という種が飼育された最初の鶏ではないかとされています。 その家鶏が日本に伝来したのは、稲作が始まった弥生時代か、 それ以前ともいわれていますが、明確ではありません。 奈良時代になって仏教が伝来すると、殺生・肉食が忌避されるようになりましたが、 仁徳天皇の時代には鳥獣が狩られ、「薬獣」と称して食用されていた記録が残っています。 平安時代になると禁獣の令は幾度となく発布されましたが、 そこでは主に牛馬を食べることを禁じており、キジや小鳥、家鶏は 例外として食べてもよいとされていました。

1600年頃【江戸時代】・食肉ではなく採卵が主の時代

徳川八代将軍吉宗の時代になると、貧しい下級武士が家計の足しにと 小規模な採卵養鶏を始めたことがきっかけで養鶏が始まりました。 その後、利根川沿岸や、埼玉、千葉、茨城、福島でも養鶏農家が拡大し、 東北、東海、出雲、九州などの各地域でも、それぞれの地鶏が発達していきました。 ただこの時代、鶏を食用とすることは一般的ではありませんでした。 江戸の料理書などを見ても野鳥(キジ、うずら、鴨、雁など)がメインで いずれも焼いたり、煮たりといった料理法がほとんどでした。 鶏は飼っていれば卵を採ることができるので、滅多なことが無い限り、 肉を食することはなかったのです。

1860年頃~【明治時代】・外食産業に鶏肉が登場

明治維新は日本人の食卓に大きな変化をもたらしました。その第一は肉食文化の導入です。 今では日本人のおもてなしに欠かせないすき焼きが生まれ、庶民の間に浸透していきました。 実はこの時代、鶏料理は牛や豚よりも高級な料理として珍重されていました。 屋台料理として「焼鳥屋」も出現するようになりましたが、ガラやスジ肉を串に刺したものや、 牛や豚、馬肉などの下等物も混ざっていたといいます。 日本で初めて唐揚をレストランで出したのは、昭和7年頃、東京銀座の食堂三笠(現・三笠会館)でした。 「からあげ」という商品名が、このとき初めて使われました。 唐揚の発展に欠かせないのは、戦後米軍の駐留によってもたらされたブロイラーの存在です。 これによって鶏肉の安定供給、低価格化が実現し、焼鳥や唐揚の鶏料理がレストランや 居酒屋などで外せないメニューとなりました。

1955年頃~【高度経済成長期】・鶏肉一大生産地が唐揚の聖地に

昭和30~40年、高度成長期に入ると食の欧米化、鶏肉需要の増加に応えて、大分県北部で多くの養鶏場が出現しました。 特に中津市では市内に60店以上の唐揚専門店が並び、鶏の唐揚の「聖地」として、今も全国の唐揚ファンから支持されています。 また昭和30年代、宇佐市来々軒から唐揚作りを受け継いだ「庄助」は、日本で初めての唐揚専門店として店舗展開し、 宇佐市は「唐揚専門店発祥の地」として、中津市同様、唐揚ファン憧れの土地として支持されています。

2008年~【現在】・日本唐揚協会の発足

昭和・平成を経て、唐揚は様々な外食産業、コンビニ、ファーストフード店で販売され、今日ゆるぎない人気を獲得しました。 2008年、世界中の人が唐揚を食べたら、自然と笑顔になり、争いは消えてなくなるのではないか。という理念の基、 日本唐揚協会が発足し、唐揚業界の更なる発展を見据え全国の唐揚屋がまとまっていきます。